日常や時事から、朝礼スピーチのネタを紹介します。
2012年夏の甲子園予選、岩手大会準決勝で高校生史上初の160キロを計測した大谷翔平。
当初メジャーリーグへの入団を表明していた大谷投手をドラフト会議にて日ハムが強行指名。
一部で批判を浴びたが、その後の度重なる交渉により日ハムへの入団を決意させた。
日本ハム球団のとったその交渉術とは、いかなるものだったのか?
◆大谷の経過
9月19日 プロ志望届提出 同20日 ドジャースが日米のトップを切って花巻東高を訪問。獲得の意思を表明 同26日 日本ハムの大渕スカウトディレクター(SD)らが同校を訪れて面談 10月11日 Rソックスが同校を訪問し、レンジャーズを含む大リーグ3球団との面談終了 同21日 大谷がメジャー挑戦を表明 同25日 ドラフト会議で日本ハムから単独1位指名。「自分自身の考えとしては、(入団の可能性は)ゼロです」 同26日 山田GMと大渕SDの指名あいさつを佐々木監督が対応。大谷は同席せず 11月2日 山田GMと大渕SDが大谷の自宅を訪れ、両親にあいさつ。大谷とも会い、栗山監督のメッセージ入りサインボールを贈った 同10日 山田GMらが大谷側と交渉。「大谷翔平君 夢への道しるべ ~若年期海外進出の考察~」と題した資料を作成し、早期挑戦のリスクを説明 同17日 2度目の入団交渉。入団後、投手と打者の「二刀流」で育てるプランと、優れた育成体制をアピールも、態度に軟化は見られず 同26日 栗山監督が初めて入団交渉に同席。「信じて待つだけです」と訴えた。交渉開始後、初めて取材に応じた大谷は「そういう道(国内)もあると、伝えていただいた。新たな発見もあった」と話した 【スポーツ報知より】
全てを出し尽くした
11月10日の交渉で25ページにも及ぶ資料を持参。
11月26日、約一時間の話し合い後の栗山監督は「思いは全てぶつけた」とコメント
最高の条件を提示した
高卒新人では、ダルビッシュ、中田に続く
契約金、1億円プラス出来高5,000万円、
年俸1,500万円の最高条件を提示した
将来の夢を用意した
日本ハムはダルビッシュ投手つけていた背番号11を用意した。
大谷選手のあこがれるダルビッシュ投手のつけていた背番号は、そのまま自身のメジャーでの活躍を連想させるものだった。
実績を示した
12球団トップクラスの育成システムの確立している日本ハム
高卒7年目のダルビッシュをポスティング・システムでメジャーに送り出した実績は大谷選手の夢を後押しすることになる。
不安を解消した
花巻東や同校の佐々木洋監督へ向けた中傷などがあり、
メジャー挑戦を翻意すれば、指名を回避した国内他球団や、
メジャー球団に迷惑をかける。そんな懸念があった。
これに対し、
栗山監督は「すべて球団と自分が背負う。プレーしやすい環境を作ってあげたい。18歳の夢のある若者が、大きく成長するように、みんなで応援してあげることが大事」と力説した。
◆大谷 翔平(おおたに・しょうへい)
1994年7月5日、岩手・水沢市(現奥州市)生まれ。
小2で野球を始める。花巻東では、1年春から4番で通算56本塁打。
1年秋からエースで2年夏、3年春に甲子園出場もともに初戦敗退。
今夏の岩手大会準決勝で高校生史上初の160キロを計測したが決勝で敗れた。
今秋ドラフトで日本ハムから1位指名された。
193センチ、86キロ。右投左打。
【スポーツ報知より】